2012年6月28日木曜日

女を捨てた妻

 不倫を通して妻以外の女性とセックスの味を知ってしまうと、妻に対して性欲を感じなくなるという既婚男性は少なくないらしい。かくいう私自身が、そうなのだが。

 女性の場合は性交に勃起を必要としないので、気分が乗らなくても夫を受け入れることはできる。濡れなくて痛いかもしれないが、唾液やローションという手もあるから。

 男性の場合、勃たなければセックスにならない。十代のやりたい盛りなら、よほど生理的に受付けない相手以外なら余裕でエレクトできたろうが、ある程度の年齢になるとそれも難しい。

 妻に対して、その気になれないのは何故か。理由はいくつかあるが、女としての自分をどれだけ磨き続けているか、その違いは大きい。その意識の薄さは、体型やおしゃれにはっきりと表れている。

 妻が特に太っているという訳ではないが、女として魅力的であることに無関心であるように見える。ウェストのくびれやアンダーへあの手入れに、少なくとも私に対しては女を捨てているのが感じ取れる。

2012年6月27日水曜日

家族化する伴侶

 セックスだけが、夫婦の絆という訳ではない。これは明らかだ。一緒に生活すること、余暇を過ごすこと、お互いを気遣うといった精神的な交流は、夫婦を続けていくには不可欠のものだ。

 これらの体験を夫婦(あるいは、子どもたちと一緒に)でともにして、生まれも育ちも違う他人だった二人が、家族になってゆく。

 既婚者にとって伴侶は守るべき家族である一方で、思慕や性欲の対象でもある。一緒に暮らす中で相手が家族になりきってしまうと、性欲の対象とはなりにくい。

 だが一方で、セックスに対する欲求は結婚したからといってなくなるものではない。対象を失った性欲の受け皿は、男性の場合はキャバレーや性風俗であり、場合によっては不倫ということになる。

 女性の場合、ホストクラブで散在できる人妻は決して多くはない。ネットでの出会い環境が整う中、不倫に性的な発散を求める既婚女性が多くなるのは、自然な流れだろう。

 もちろん、それは生活上の伴侶に対する裏切りだ。しかし、浮気は許さないといいながら、同時に夫婦のセックスを拒む妻や夫が少なからずいるのも、また事実であるらしい。

2012年6月19日火曜日

絆としてのセックス


 セックスが夫婦の絆として機能するのは、大別して二つのパターンが考えられる。

 一つは、愛し合う男女間での「性行為」としてのセックス。もう一つは、悪意や害意を持っていないことを知らせる意味での「スキンシップ」としてのセックス。

 性欲がなくては成立しないことは同じだが、前者が放っておいても頻繁に行われるのに対して、後者はコンスタントにすることを双方が心がけ、様々な工夫を凝らさないと続きにくい。

 ほとんどの夫婦の新婚時代は、前者の要素しかない。男性の性欲はストレートに発揮され、女性はそれを喜んで受け入れる。多くの女性たちにとって、性的な喜びは征服されることの喜びと同意だからだ。

 結婚してから時が経ち、子どもが生まれたりもして、夫婦生活を通して、相手がどんな人間であるかがわかってくる。伴侶としては悪くない相手だと思っても、異性としての魅力は感じなくなっていく。

 それからは、お互いを嫌っていないこと、夫婦として今後も一緒に生きてゆくという意思の確認を、肌の触れ合いを通じてするようになる。それが、後者としてのセックスである。

愛の渇き


 自分は愛されているという実感を得ていることは、夫婦生活を続けていく上で必要なことだ。人は愛を得て、初めて他人を愛せるのだから。

 親が子どもを愛するのは、打算のない無償の愛だとされる。幼少期に肉親の愛に恵まれなかった人は、しばしば自分の子どもに十分な愛情を注ぐことが出来ないとされる。

 もちろん、そうした幼少期を送った人のすべてがそうなる訳ではない。逆に親や伴侶の愛に恵まれているのに、夫婦生活において心が満たされず、不倫や離婚に至る人もいる。

 一人の女として、一人の男として愛されたい。結婚後もその乾きをずっと抱えている人は、妻または夫とのセックスで、愛情を受けている自分に満足できないことがある。

 心から愛し合った相手と結婚したケースや、独身時代に十分に愛された後で、恋愛とは別物だと割り切って結婚したケースでは、この種の渇きは起きにくいのだが。

2012年6月11日月曜日

セックスと信頼関係


 夫婦にとってのセックスが、子どもを授かる目的で行われるのは、長い夫婦生活の一時期だけである。それ以外は、夫婦間であっても避妊してセックスをすることが多い。

 夫に「所有」されることを好まない妻は確かに多いが、それは尊敬できない夫にそうされることが嫌なだけであって、尊敬できる相手についてゆくことは必ずしも苦痛ではない。

 愛情がなくとも男は女とセックスできるが、女はそうではないと言われる。しかし、性的に興奮しないと結合が出来ない男性と違って、女性は興奮しなくても性器を受け入れることができる。

 もちろん、濡れていないと挿入は難しいし、セックスの最中に擦れて痛みを感じやすい。その場合、唾液やローションなどを潤滑剤として使うことになるが、行為そのものは可能だ。

 セックスに対する男性の側の情熱を考える時、性欲と愛情を区別することは難しい。一方、女性はセックスにおいても演技をする。まるで別のことを考えながら、その時間をやり過ごすことができる。

 子づくりを終えた夫婦にとって、性的快楽を追求するすることが夫婦生活の目的の一つとなるが、精神的な信頼関係づくりと互いの協力なしには、男女の性的役割に沿ったセックスは難しいことがわかる。